2017年12月16日土曜日

清須会議 (2013)

天正十年の本能寺の変は日本史上の一大事件だったと思います。
その後の織田家跡目相続と領地配分を、戦闘ではなく「話し合い=評定」で決めようというのが面白いところです。

主役は柴田勝家と羽柴秀吉。だが、この映画で印象に残るのは、秀吉の人を引きつける底の抜けた明るさと、武家の枠組みを意に介さない自由さと、新しい世の中を背負っていこうという覚悟です。小学生の時に読んだマンガ日本の歴史の、神輿に乗って大阪の街に金銀をばらまく絵が思い出されます。
旧時代を否定して新しい時代を指向した信長の後継としては、確かに最適だったのかもしれません。

藤吉郎、権六、五郎左、恒興、犬千代、お市などのすべてのキャラが立っていて、三谷幸喜節ここにありといったところでしょうか。

最後はやはり秀吉の覚悟と未来に向かう明るさに勇気づけられます。

2017年11月11日土曜日

オーバー・フェンス (2016)

どうしょうもない人生。うまく生きられない人たち。
それでも人と人とが惹かれ合い、生きていく。
これは自分の物語だと思わせます。

主人公は職業訓練校に通うバツイチ40男。妻をダメにした呵責からか、人生を見失って、ただ毎日を生きている。ちょっとおかしなホステスと出会い、ぶつかり合い、少し心を開いていく。
元やくざ、元営業、元大学生、建築科には、人生をやり直したい人たちが集まっている。

最後のシーンはソフトボール大会。
オーバー・フェンスは、ホームランのことであり、人と人との垣根を超えることであり、どうしようもない境遇から抜け出したい、という気持ちでもある。

蒼井優の演技が素晴らしい。いつの間にこんな演技派になったのか。

2017年4月9日日曜日

エイプリルフールズ (2015)

" リーガルハイ"の脚本古沢良太と演出石川淳一のコンビが、脚本と監督でタッグを組んだエンタテインメント。

4月1日の一日を通じて、7つのウソとウソによるドラマが繰り広げられます。
深刻なウソもあれば、ウソによって人が幸せになることもある。ウソか真実かが問題なんじゃなく、信じることが一番重要、というメッセージ。

宇宙人を待っている少年に、インターネット上でそそのかしたHPが言います。
「そこの少年、現実に立ち向かえ。その気になればたいていの現実は変えられる」
ホントかな?

やはり基本的にコメディが好きです。

2017年3月5日日曜日

Interstellar (2014)

"Inter" は「間」、"Stellar" は「星」。星間の移動についてのSF映画です。
何の前情報もなく、油断して観てしまいましたが、ストーリー自体が難解で、解説が必要でした。

相対性理論、重力場、ワームホール、5次元の世界、ブラックホール(の特異点)、量子力学等、現代の宇宙物理学をふんだんに盛り込んでストーリーを構成しているところは感心します。
人間という有機物体が、ブラックホールやワームホールを抜け、5次元の世界に迷い込むのは現実的とは思えませんが。

映像的には、"2001年宇宙の旅"の映像表現を踏襲しているようにも思えますが、ブラックホールや5次元世界の描き方などは苦労したんでしょうね。
キューブリックの映画と違い、コンピュータ(機械)が人間フレンドリーに描かれているところはほっとします。

思えば、地球のような星は、他にもあるのか?今日、日向ぼっこをしながらふと思いました。
少なくとも、太陽系で文明を生んだ生命がいるのは地球だけのようです。
太陽からの距離が適当でしかも円軌道で公転している。水と大気を持ち、月という潮汐の元となる衛星がある。しかも太陽自体が絶妙な大きさで寿命が長い。同じような星は銀河系で十数個らしい.....
もし、この宇宙に文明を持つ生命体がいる星が地球だけだとしたら。その生命というものの意味は何なんでしょうか?
自分で考えることのできる生命体であるがゆえに、主観的に生命を捉えていますが、有機生命とは違う種類の何らかの意思のあるものが他にも誕生しているのかも。
アドラーは、究極的には人生は意味のないものだと言ったようですが、大きな宇宙から見ると、確かにそうです。
人間という種の中で、人間関係に悩み、人生の意味を考える。ちっぽけな悩みを抱えながら、80年という一瞬をただ生きる、それが本質なのかもしれません。

2017年2月23日木曜日

Un Moment D'égarement -避暑地で魔が差して- (2015)

避暑地で親友の17才の娘とできちゃったおっさんの話。
フランス映画ですね。
1977年の映画のリメイクらしい。

娘同志も親友という中、おっさんは苦しい立場に。
厳格な親友(こっちも、もちろんおっさん)との、すれ違いのやりとりがちょっと笑える。
結局、最後はそれぞれが許しあったのかなぁ。微妙な終わり方でした。

2017年2月12日日曜日

Citizen Kane (1941)

映画史に残る不朽の名作と言われている映画です。
カット割りやカメラワーク、光と影の使い方などは、よく考えてるなあと思いますし、そういうことに熱心な人にはたまらないんでしょうね。
Orson Welles 若干 25歳。監督としての才能と役者としての才能にあふれてます!

ストーリー的には、新聞王が自己中心的な振る舞いのためにすべてを失っていくという物語。
愛を持っていないから愛を与えられない、愛を求めているだけ、というセリフはなかなか辛辣ですね。誰にでもそういうところはあるから。

基本的には新聞王 William Randolph Hearst への当てこすりのストーリーのようです。
主人公 Kane が死ぬ前に残した謎の言葉 "Rosebud" (薔薇の蕾)というのは、 Hearst の愛人の性器の愛称だったようで、映画にその言葉が使われていることに Hearst は激怒したようです。当たり前ですね。しかも、全編この "Rosebud" が何度も使われ、メインテーマのように扱われている。

この映画は、 Orson Welles の強烈なジョークセンスで作られたと言ってもいいのかもしれません。
そういう時代的な背景があってはじめて成立するストーリーのように感じました。

2017年2月5日日曜日

Mandela: Long Walk to Freedom (2013)

the Special A.K.A. の "Nelson Mandela" を初めて聞いたのは、おそらく1985年か86年頃。Nelson Mandela の存在を知らなかった僕に、「20年も投獄されたままの反アパルトヘイトの闘士だ」と教えてくれたのは、ファンク・ミュージック好きの友人でした。僕の生まれる前から!です。
そのジャケットの写真は、いかにも闘士らしく髭を蓄え、精悍な顔つきをしており、過激派あるいはテロリストとの先入観を持ったのを覚えています。

再び彼の顔を見たのは釈放されてから。27年の歳月は長く、白髪交じりのおじいさんであり、「これが反アパルトヘイトの闘士か」という感じでした。

投獄により反アパルトヘイトの象徴となりましたが、彼の偉大なところは、釈放後の和平プロセスへの関与だと思います。映画を見てもわかりますが、反アパルトヘイト活動や投獄生活とは比べものにならないくらいの困難な状況が、釈放後の和平プロセスでした。おそらく彼の決定的な指導により、和平プロセスが進んだというより、平和的に人種差別路線を解消するという精神的支柱であったことが大きいのではないかと思います。

投獄の間に増幅した憎悪の感情と、27年を経ての妻との感情のもつれがシンクロし、投獄の間にできた、マンデラと社会との意識のずれを表わしています。
憎しみは憎しみで解決できない、もっと高い理想の社会をめざそう、という姿勢は政治家というよりは聖人に近いものがあります。

自由への長い道のりは、彼自身の道のりでもあり、民衆の道のりでもあります。自分と民衆を重ね合わせた人生を歩んだからこそ、みんなついていこうと思ったんでしょうね。