避暑地で親友の17才の娘とできちゃったおっさんの話。 フランス映画ですね。 1977年の映画のリメイクらしい。 娘同志も親友という中、おっさんは苦しい立場に。 厳格な親友(こっちも、もちろんおっさん)との、すれ違いのやりとりがちょっと笑える。 結局、最後はそれぞれが許しあったのかなぁ。微妙な終わり方でした。 |
2017年2月23日木曜日
Un Moment D'égarement -避暑地で魔が差して- (2015)
2017年2月12日日曜日
Citizen Kane (1941)
映画史に残る不朽の名作と言われている映画です。
カット割りやカメラワーク、光と影の使い方などは、よく考えてるなあと思いますし、そういうことに熱心な人にはたまらないんでしょうね。
Orson Welles 若干 25歳。監督としての才能と役者としての才能にあふれてます!
ストーリー的には、新聞王が自己中心的な振る舞いのためにすべてを失っていくという物語。
愛を持っていないから愛を与えられない、愛を求めているだけ、というセリフはなかなか辛辣ですね。誰にでもそういうところはあるから。
基本的には新聞王 William Randolph Hearst への当てこすりのストーリーのようです。
主人公 Kane が死ぬ前に残した謎の言葉 "Rosebud" (薔薇の蕾)というのは、 Hearst の愛人の性器の愛称だったようで、映画にその言葉が使われていることに Hearst は激怒したようです。当たり前ですね。しかも、全編この "Rosebud" が何度も使われ、メインテーマのように扱われている。
この映画は、 Orson Welles の強烈なジョークセンスで作られたと言ってもいいのかもしれません。
そういう時代的な背景があってはじめて成立するストーリーのように感じました。
カット割りやカメラワーク、光と影の使い方などは、よく考えてるなあと思いますし、そういうことに熱心な人にはたまらないんでしょうね。
Orson Welles 若干 25歳。監督としての才能と役者としての才能にあふれてます!
ストーリー的には、新聞王が自己中心的な振る舞いのためにすべてを失っていくという物語。
愛を持っていないから愛を与えられない、愛を求めているだけ、というセリフはなかなか辛辣ですね。誰にでもそういうところはあるから。
基本的には新聞王 William Randolph Hearst への当てこすりのストーリーのようです。
主人公 Kane が死ぬ前に残した謎の言葉 "Rosebud" (薔薇の蕾)というのは、 Hearst の愛人の性器の愛称だったようで、映画にその言葉が使われていることに Hearst は激怒したようです。当たり前ですね。しかも、全編この "Rosebud" が何度も使われ、メインテーマのように扱われている。
この映画は、 Orson Welles の強烈なジョークセンスで作られたと言ってもいいのかもしれません。
そういう時代的な背景があってはじめて成立するストーリーのように感じました。
2017年2月5日日曜日
Mandela: Long Walk to Freedom (2013)
the Special A.K.A. の "Nelson Mandela" を初めて聞いたのは、おそらく1985年か86年頃。Nelson Mandela の存在を知らなかった僕に、「20年も投獄されたままの反アパルトヘイトの闘士だ」と教えてくれたのは、ファンク・ミュージック好きの友人でした。僕の生まれる前から!です。
そのジャケットの写真は、いかにも闘士らしく髭を蓄え、精悍な顔つきをしており、過激派あるいはテロリストとの先入観を持ったのを覚えています。
再び彼の顔を見たのは釈放されてから。27年の歳月は長く、白髪交じりのおじいさんであり、「これが反アパルトヘイトの闘士か」という感じでした。
投獄により反アパルトヘイトの象徴となりましたが、彼の偉大なところは、釈放後の和平プロセスへの関与だと思います。映画を見てもわかりますが、反アパルトヘイト活動や投獄生活とは比べものにならないくらいの困難な状況が、釈放後の和平プロセスでした。おそらく彼の決定的な指導により、和平プロセスが進んだというより、平和的に人種差別路線を解消するという精神的支柱であったことが大きいのではないかと思います。
投獄の間に増幅した憎悪の感情と、27年を経ての妻との感情のもつれがシンクロし、投獄の間にできた、マンデラと社会との意識のずれを表わしています。
憎しみは憎しみで解決できない、もっと高い理想の社会をめざそう、という姿勢は政治家というよりは聖人に近いものがあります。
自由への長い道のりは、彼自身の道のりでもあり、民衆の道のりでもあります。自分と民衆を重ね合わせた人生を歩んだからこそ、みんなついていこうと思ったんでしょうね。
そのジャケットの写真は、いかにも闘士らしく髭を蓄え、精悍な顔つきをしており、過激派あるいはテロリストとの先入観を持ったのを覚えています。
再び彼の顔を見たのは釈放されてから。27年の歳月は長く、白髪交じりのおじいさんであり、「これが反アパルトヘイトの闘士か」という感じでした。
投獄により反アパルトヘイトの象徴となりましたが、彼の偉大なところは、釈放後の和平プロセスへの関与だと思います。映画を見てもわかりますが、反アパルトヘイト活動や投獄生活とは比べものにならないくらいの困難な状況が、釈放後の和平プロセスでした。おそらく彼の決定的な指導により、和平プロセスが進んだというより、平和的に人種差別路線を解消するという精神的支柱であったことが大きいのではないかと思います。
投獄の間に増幅した憎悪の感情と、27年を経ての妻との感情のもつれがシンクロし、投獄の間にできた、マンデラと社会との意識のずれを表わしています。
憎しみは憎しみで解決できない、もっと高い理想の社会をめざそう、という姿勢は政治家というよりは聖人に近いものがあります。
自由への長い道のりは、彼自身の道のりでもあり、民衆の道のりでもあります。自分と民衆を重ね合わせた人生を歩んだからこそ、みんなついていこうと思ったんでしょうね。
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